2012年12月25日火曜日

夫の出産参加のもたらす意義

出産は産婦の身体を中心とした生理現象であり、出産のための生理機構がスムーズに働くためには、産婦の身体の緊張をとって身体をリラックスさせ、生理作用を早く進行させて、出産を終わらせることが必要だ。身体と心が密接に関係しているのは衆知の事実で、誰だって不安で固くなった心を持ちながら、身体だけゆったりとリラックスすることなど、できるものではない。

それを考えれば、産婦に安心感や、真の励ましを与え、真剣にわが子の誕生に立ち会いたいと考える夫なら、いや夫でなくてもよい、産婦の心に勇気と安定感を与えられる姉妹や友人たちなら、出産参加は分娩のスムーズな進行のために大変役立つわけである。論文としてもいまはもうその種の研究は珍しくない(例えば、『助産婦雑誌』一九九〇年八月号、医学書院)。また「衛生管理上の問題云々」という点について言えば、助産者や看護者と同じ清潔な服装でのぞみ、服装から露出している部分(顔、手など)の清潔さに、同じだけの注意を払いさえすれば、何ら問題はない。赤ちゃんは私たちの住む世界で生きていくのであり、無菌室で育つわけではない。

夫の出産参加はこのように産婦(妻)への有効性もさることながら、それは夫自身の大きな変化にも顕著につながっている。先で述べたように、私か一九八四年夏から一九八八年までに調査した大洲市上須戒地区という山村では、伝統的に夫が妻をかかえて二人でか産するという習俗が行なわれていた。大戦末期に開業した産婆(後に助産婦)も、お産の姿勢だけは坐産から仰臥位産へと変更させたものの、伝統的な夫婦協力型出産方法については、彼女が老齢のため引退したほんの二、三年前まで、実践し続けたという出産事情があった。したがって随分年輩のおじいちゃんたちが、時代の最先端をいくラマーズ法も顔負けの、出産法を体験していたのである。

「女の人は偉いですよ。お産というのは大変なものです」(八九歳氏)、「お産というのはいやあ大変なもんだ。ああやって難儀して生まれた子には特別、情が深こうなる」(七七歳氏)、「女の一番大変な時(有産)に男がそばにいてやるのは当たり前でしょう」(七六歳氏)、「誕生したときは涙がでて止まらなかった。子どもがこんなに愛しいと思ったことはない」(七〇歳氏)、「最初は仕方なしに手伝ったけど、こんなに苦しんで産むのか! 一緒にいきんでやってよかったと思った。このつらさはいくら人に話してみても、体験してみないとわからんだろう」(六七歳氏)とそれぞれ感想を述べているように、参加体験がそれまでの出産観を大きく真実に向かって好転させているのがわかる。

2012年9月6日木曜日

人がなにかに頼りたくなるとき

石川さんは、次のような問いかけをされています。「心理療法の仕事がここ数年で日陰の存在から表に立だされる存在へ変化したという実感があります。やっと理解されるようになったという思いと同時に、とまどいもあります。私たちはこれからどのようなことに気をつけていけばいいのでしょうか」

もともと心理療法には、陰の仕事みたいな要素があります。縁の下の力もち的な存在であるべきもので、正しく理解されるのは歓迎すべきことですが、かといって、それがあまり表に出てきて威張りだすと、ろくなことはありません。

「私にはわかります」とか、「私には治せます」、「私がしてあげます」などと慢心し、傲慢になっていたら、いっぺんにだめになると思います。そういうことに対する自戒の念をいつもはっきりともっている必要があります。

私たちはそれなりに専門の勉強をし、訓練も受けていますから、素人の人がびっくりするくらいのことは言えます。しかし、そういうことを得意になってしゃべり、それで喜んでいたのではどうしようもありません。

カウンセラーやセラピストをよそおっだ詐欺師も困りものですが、ペテン師まがいの心理学者はもっと有害です。

社会が不安になると、みんな、どうしてもなにかに頼りたくなります。自分で考え苦しんでいるより、なにかに頼るほうが楽だからです。そこに落とし穴があるわけで、詐欺まがいのことは、やろうと思えばいくらでもできます。

だいたい人間というのは、ほとんどの人が催眠にかかりますから、類似催眠状態にすればいろいろな劇的なこともある程度可能です。

学校へ行かなかった子が翌日から行くようになったとか、夜尿がピタリととまったとか。軽い場合は、それでもいいかもしれませんが、重い場合は後でぶり返しが来て、非常にむずかしくなります。

2012年8月23日木曜日

テポドン・ショック

北朝鮮は、一九九八年八月三一日に長距離ミサイル「テポドン」の発射を行った。テポドンは北朝鮮の日本海岸にある発射基地「舞水端」から発射された。日本を越え、およそ一五〇〇キロを飛び太平洋に着水した。テポドン発射に、日本は驚愕した。

日本政府は、直ちに、①日朝正常化交渉の再開見合わせ②食糧支援の見合わせ③チャーター飛行使の運航当面停止④朝鮮半島千不ルギー開発機構(KEDO)への資金供与協力見合わせの制裁措置を取った。これに対し、北朝鮮は九月四日に人工衛星「光明星1号」を打ち上げ軌道に乗ったと発表した。

日本では、北朝鮮の発表に対し「人工衛星」か「ミサイル」か、といった論議が行われた。しかし、この論議はあまり意味のないものであった。実態は、ミサイル用のロケットに人工衛星を載せて打ち上げたものである。ロケットは、どちらにでも使えるものであり、弾頭に人工衛星を搭載すれば人工衛星になり、爆弾を搭載すればミサイルとして使用できるという違いしかないのである。

アメリカやロシア、中国はミサイル用のロケットで人工衛星を打ち上げようとしたが、失敗したとの見解を取った。日本が大騒ぎしたのとは対照的に、韓国やアメリカは冷めた対応を示した。テポドンーミサイルは、今の段階ではたいした脅威にはならない、というのがアメリカの判断であった。ただ、いずれアメリカに届くミサイルを開発する可能性への懸念は強調した。

実は、テポドン・ミサイルは冷静に考えれば日本にとっても決して脅威になるミサイルではない。射程が一五〇〇キロ以上であれば、日本の上空を飛び越え太平洋に着水するだけで、日本には落ちないからである。

2012年7月19日木曜日

このごろの若い人に、カウンセラーに抵抗感がなくなってきた

このごろの若い人に、カウンセラーと会うことに対する抵抗感がなくなったのは、やはりスクール・カウンセラーの普及と、そういう人たちの努力のおかげでしょう。

体の具合が悪くなったときに保健室に行くのと同じような感覚で、わりと簡単に相談室に行くようになりました。

カウンセリングを受けることに対する抵抗はアメリカにもありますが、日本の場合とは意味がかなり違って、分析を受けること自体に対する偏見からではありません。

アメリカでは分析医が発達し、多くの人が分析を受けていますが、わざわざ遠くの分析医のところまで行ったり、保険を使わず自腹で診てもらったりします。

それは、アメリカのような競争社会では精神的なもろさも弱点になるため、自分が分析を受けていることを周囲に知られたくないからです。

とくに自分の地位を守らなければいけない人は、分析やカウンセリングを受けていることを隠そうとします。だから、アメリカの知りあいには保険なしでやっている人が多く、そこによく来るのは、一番がお医者さん、次が宗教家だそうです。

もっとも、まったく健康なのに分析医のところに通って、「自分の心の成長のために行っているんだ」と吹聴したり、ことあるごとに、「私の分析医はこう言っている」などと自慢げに語る人もいます。

これは、一種のステータス・シンボルとして利用しているケースで、ほんとうに悩みを抱えて分析医のところに行っている人は、そのことを必死に隠そうとします。

2012年6月20日水曜日

自我と無意識の世界

「心理療法のプロセスの中でクライエントの心の深いレベルが活発に動き、それが夢や箱庭などによって治療者に伝えられることがあります。

そして、その中で躍動しているイメージなどから馳す力を得ることによって、現実的なレベルの問題にも取り組んでいけるようになるという治療の流れはよく体験します。

ところが、夢などの内容についてのイメージを語るときには、とても深い洞察やいきいさとしたエネルギーを汲みだすことができているのに、それがまったく現実レベルにつながらない方もおられます。現実的なレベルの話題になるととたんに、症状レベルの訴えのくり返しになったり、現状が変わらないことへの不満だけが語られるのです。

そして、『夢でいろいろなことがわかったからといってもなんにも役に立だない』と夢を否定されます。しかし、夢は継続して報告されるのです。

自我がどんなに否定していても、どこかで夢のメッセージを必要としていることの証なのだろうと考えてはいますが、無意識から得た力を現実レベルにどうつなげていけばいいのかわからなくなることがあります。

このようなクライエントの状態をどう考えればいいのか、治療者はどのような姿勢で取り組めばいいのかをお聞きしたい。

岩宮恵子さんはスクール・カウンセラーとして第一線におられる方ですが、重い神経症者の治療をしておられます。ここでは、自我と無意識のことを問題にされています。

クライエントの中にはたしかにこういう人がいます。それも、欧米人より日本人のほうに多いように私は思います。

欧米人の場合、自我が強く、現実把握ができていて、自分なりの判断力を明確にもっています。また、自分の内面に対しても、自分がどんなことを感じているか、自分はどういう欲望をもっているかということがよくわかっていて、そういうものを全体的に統合して生きています。

というより、そのようにして意識的な自分というものをきちんとっくりあげておかないと生きていけない世界ですから、そこの部分がすごく鍛えられています。

不安を大きくするもの

「神戸での震災以後、兵庫県や全国でも暴力性や破壊性にまつわるいろいろな事件が起きています。震災が直接的に関与したとは思えませんが、あの震災が日本人の心のなにかを動かし、なにかを開かせたように、日々の臨床を通じても思うことがあります。先生のご意見をお聞かせください」

石川敬子さんはカウンセリング・オフィス神戸同人社のスタッフとしてカウンセリングをされていますが、阪神淡路大震災にあわれて、ご自身も精神的なダメージを体験されたそうです。

また、そういう方々の心のケアにあたってこられました。質問の中に震災のことをもちだされたのは、そういう経緯があったからだと思います。

石川さんのように、人間の心のことを研究され、訓練も受けられて、現実にカウンセリングにあたってこられた方ですら、精神的ダメージを回避することができなかったわけですから、あの大震災によって一般の人が受けた心の傷は、そうとうなものだったと推察されます。

ただ、石川さんも書いておられますが、震災と、たとえば中学生による児童殺害などの凶悪な事件との間に直接的な因果関係があるかどうかは、一概には言えないと思いますし、凶悪犯罪自体、最近になって急に増えはじめたものかどうかも、一度考えてみる必要があるような気がします。

たとえば明治時代にも、猟奇的殺人のようなことはいっぱいありましたし、一般の人も興味を寄せていたように思います。そういう事件が、いまとどっちが多いかわからないし、殺人事件などは、ひょっとしたら、いまのほうが少ないかもしれません。

いまはメディアが発達、多様化している上に、メディア間の競争などもあって、ことさらセンセーショナルに書きたてないと、一般の人が関心をもたなくなっています。どこそこの家は幸福に暮らしていますなどというのは、記事にも話題にもなりません。そういったところも、差し引いて考える必要があるでしょう。

誰でも「昔はよかった」と言いたがっているところがあります。しかし、この言葉は、何千年もの間、人間が言いまわしてきたものです。「いまどきの若いやつは」などという言葉は、それこそ紀元前から言われてきたのではないでしょうか。そういうことも考える必要があると思いますし、ジャーナリストの方は、一度そういう統計をきちんと取ってみたらどうでしょうか。

いつの時代にも、社会というのはそういう不安をつねに内在しているものですが、ただ、近代以前は、宗教のような超越的なもので救われていました。ところが現在は、そういう部分が非常に希薄になっていますから、凶悪な部分が表に出やすくなっているとは言えるかもしれません。

私たちはそうした目に見えない超越的な束縛から解放されてずいぶん便利になり、おもしろおかしく生きることができるようになりましたが、その分、不安はどうしても大きくなります。

死ぬほど苦しいとき

自殺者には律義な人が多く、律義な人だから、変わることがよけいにしんどくて、それくらいだったら死んでしまおうという気になってしまうのでしょう。

人には、その人その人に人生の流れみたいなものがあります。長いこと、ある工場に勤めていて、この仕事に関しては自分よりできる者はいないと思っているときに、急にシステムが変わって、それまでのやり方が通用しなくなったりすると、そういう人は、苦しんで自分が変わるより、死んでしまいたいと思うようになったりします。

あるいは、そろばんでは一番だったのに、仕事がすべてコンピュータ化されたら、逆に自分が一番できない人間になってしまいます。

いまは変化が速いから、そういうことがよく起こります。それにつれて、死んだほうがましだと考える人も多くなる。

それでも、日本の会社は、そういう人でもなんとか抱えこんでいこうとしますからまだましです。アメリカなどでは、使いものにならなくなったら、その場で解雇されることもあります。

その点、アメリカのほうがずっと厳しいものがあります。ただ、日本人はこれまでそういうことにあまり慣れてこなかったから、自殺の増加という現象が起こってくるわけです。

人には、死ぬほど苦しいこともあります。そこを越えていかないと成長しません。ある意味では、死んで生まれ変わっていくとも言えます。

中年くらいになると、誰でもそういうことを一度や二度は経験しているのではないでしょうか。そして、そういうときのために、カウンセラーというものがあるわけですが、それだけに、私たちのところに来る前に死んでしまわれるのは、いかにも残念です。

変化が激しいにもかかわらず、そういうところをケアできるような優秀な産業カウンセラーが少ないというのが、いまの最大の問題だと思います。

産業カウンセラーのあり方、企業側の考え方に問題がある

日本では、かつては、「おかしくなった人を普通の人にするところ」と思われているふしがありました。だから、スクールーカウンセラーを実施するときには、誰も来てくれないのではないかと心配したのですが、その点は杞憂だったようです。

彼らの努力によって、自分の生きる道を一緒に考えてくれる人なのだということがわかってきたからでしょう。

ただ、中高年の人の相談先に関して言えば、産業カウンセラーのあり方、企業側の考え方に問題があるような気もします。

開業している人でも、あるいは学校でも会社でも、力のあるカウンセラーのところには、とくに宣伝もしていないのに、クライエントがたくさんやってきます。

力のないカウンセラーのところには、いくら大々的に宣伝してもクライエントは来ないし、最初は来ても、すぐに来なくなります。

このごろは産業カウンセラーの制度もかなり普及してきましたが、企業側はまだ軽く考えているのか、コスト節減のためなのか、あまり力のある人を入れていないように思われます。

力のない人を置いておいても誰もやってきません。そこで、企業側は、誰も来ないなら経費の無駄だといって、カウンセラーそのものを廃止してしまったりする。これでは、助かる人も助からなくなってしまいます。

カウンセリングによって自殺を思いとどまったというケースは少なくありませんが、その場合も、カウンセラーが相手の自殺を思いとどまらせようということを、あまり前面に出しだのではうまくいきません。

中高年の自殺に打つ手

リースさんとの対談では、主としてアメリカの中高年の人のお話をうかがいましたが、リースさん自身は日本の中高年、それも、最近のリストラの風潮と関連して、中高年男性の自殺の問題を気になさっておられるようです。

「日本で中高年男性の自殺が問題になっていますが、これを世話した弁護士会の人が、『この中高年の人たちは誰も医者やカウンセラーに診てもらっていなかった。ぜひ企業にカウンセラーを置くように』と訴えているニュースを見たのですが、中高年男性の精神衛生について、どのようにお考えでしょうか」

日本で中高年男性の自殺が増えていることは、私も気になっているのですが、その中には、カウンセリングを受けていたら自殺を思いとどまったという人もかなりいるのではないでしょうか。

実際に、本気で自殺しようとしていた人が、私たちと会っているうちに、自殺するのをやめたというケースは少なくありません。

そこで、自分が死にたいとか、死ぬという話をする相手がいないということが問題だと思います。とくに中年以降の人ですと、せっかく近くにカウンセラーがいても、そこに自分から行くことに抵抗を感じ、結局、一人で死んでいくという場合もあります。

治ることの悲しさ、つらさもある

たとえば、これは私があつかった例ではありませんが、自分は変な臭いがしているから人に嫌われていると思いこんでいる人がいました。いわゆる幻臭というもので、自分の足の先からオナラが出るから、みんなから嫌われているんだと思いこんでいたのです。

この人が入院して治療を受けていましたが、やがて完全に治って退院しました。そして職場に復帰した最初の日の晩、家族は赤飯を炊いて待っていたのですが、当人は裏山で首を吊って死んでいました。

本人はいやでしょうがない幻臭も、その人にとってはなんらかの意味をもっているのです。なにかはわからないけど、なんらかの要求があるからこそ、そういうものが出てくるわけです。それがなくなって普通の生活に帰るというときに、急にこわくなってくる。

ほんとうは会社でなにかいやなことがあって、会社に行きたくないから、そういう症状が出ていたのかもしれません。それなら、入院して会社から離れていれば、自然におさまってきます。

ところが、会社での問題は依然としてそのままですから、そこに復帰させられるのがこわい。まわりは赤飯を炊いて喜んでいるから、「ぼくはほんとは会社に行きたくないんだ」とも言いにくい。

それならいっそ死んだほうがましだということになる。とくに、まわりが「よかった、よかった」と大喜びしすぎると、よけい危険です。

だから、私は、治っていく人には必ず、「治ることの悲しさ、つらさもあるのですよ」という話をします。やや事情は異なりますが、夫婦で悪口ばかり言いあっていたのに、片方が死んだとたん、もう片方もすぐに死んでしまうという例がときどきあります。

口うるさい相手がいなくなってさぞやせいせいするかと思ったら、そうではなく、突っかえ棒がなくなって、自分も倒れてしまうのです。

つまり、お互いに悪口を言いあうことでバランスがとれていたわけですが、悪口を言う相手がいなくなったら、生きていけなくなってしまうというケースもあるのです。

病気と付き合う姿勢

そして、数日後に連絡があって、「よくよく考えてみましたが、もう少しこいつ(幻聴)とつきあってみることにしました」とのことでした。

先の大は、幻聴がなくなったことがまた一つのつらさになったわけですが、私たちは、治ったなら、治ったときのつらさもあるのだということを知っていないといけない。

そのときに、こちらがまるで自分の手柄かなにかのように勝手に喜んで、「やった。よし、今度、これを学会で発表してやろう」などと考えていたりすると、その大が自殺したりすることもあるのです。それは、こちらの気持ちが、その大の体験している悲しさからかけ離れていくからです。

普通の生活ができない苦しみと、普通の生活ができるようになった苦しみと、両方があるということを、私たちはつねに念頭に置いてクライエントと接していかなければなりません。

私は、普通の大を幻聴があるようにしたいとも思わないし、幻聴のある大を普通にしようとも思わない。大切なことは、「しよう」、「つくろう」とはしないことです。私たちの役目は、どちらの事情もわかった上で、その大と一緒にいて、その人の流れについていくことです。

幻聴がなくなっても、また次のつらさがやってきます。それを、受けとめていかなければならない。そのときに、こちらが無理をしてもだめ、また、ただ漫然と相手の流れについていくだけでもだめ、流れについていく自分がきちんと生きていなければ意味がありません。

とくに普通でない生活ができなくなった苦しみというのは、なかなかわかりにくいものです。誰だって、幻聴がなくなったほうがいいと思いがちです。

しかし、それで万々歳ではなく、それによって失うものもあるのだということもわきまえて、クライエントに会っていかなければならないのです。

セラピストやカウンセラーがそこを間違えると、幻聴や幻覚は治ったのに自殺してしまったなどということにもなりかねません。実際にそういう事例の報告もわりとあるのです。

「年来の友人を失った心境」

普通の人が、普通の生活なんかつまらないと思っているのと同じように、妄想が起こったり、幻覚に悩まされている人は、とにかくそこから抜けだしたいと思っています。

お互いに片方の世界のことしか知りませんから、相手のほうがよく見えたりもします。しかし、私たちは両方の世界のことを知っていますし、またそこをわかっていなければ、心理療法家とは言えません。

したがって、私たちはどちらがいいとか、どちらが悪いとかの判断はすべきではないでしょう。それをやったら、自分の好みをクライエントに押しつけることになってしまいます。

妄想かおる人からそれをとって普通の人にしてやろうなどと考えるのではなく、だからといって、妄想のあるほうがいいとも考えることなく、ただ、妄想かおるなら、そのあるということを尊重しようということです。その状態を尊重しているけれども、そちらのほうがいいとか悪いとかという判断はしないわけです。

妄想のある人は、そのときは普通の人になりたいと思っているでしょうが、箱庭をつくっているうちに自分で治って、いわゆる普通の人になったときに、すごく悲しくなる人もいます。

リースさんが、てんかんが治った子がさびしそうに見えたというのも、その傾向のあらわれでしょう。私たちは、そういうことも、つねに知っていないといけない。

以前、がんこな幻聴に悩まされていた人が私のところに来ていました。私と会っているうちにそれが完全になくなったらしく、「このごろ、幻聴がまったくなくなりました」と言うので、「それで、どんな感じですか」と聞いたところ、こう言われました。

「なんか、年来の友人を失ったような心境です」やはりがんこな幻聴に悩まされているという芸術家の方が来たこともありました。「先生、この幻聴を、なんとかしてくれませんか」というわけです。

そこで私はこう言いました。「幻聴を取ろうと思えば取ることはできるでしょう。ただ、幻聴はなくなったけど、それによってあなたの芸術家としての独創性もなくなってしまったということになる可能性もありますよ」そうしたところ、「しばらく考えさせてください」と言って、その日は帰っていかれました。

普通になるということ

この点に関して、私には忘れられない経験があります。かなり症状が深い人でしたが、私のところで話をしたり、箱庭などをつくったりしているうちに、感覚が研ぎ澄まされてきたのか、そんなことは全然なかった人が、急にクラシック音楽をすごく好きになったり、むずかしい小説などを読むようになったりしだしたのです。

たとえば、三島由紀夫の小説を読んできて、そのことを感激して話され、それにはこちらも聴いていて感心するほどでした。しかし、その人自身は、「私はいつになったら治るんでしょうか」と言って、しきりに普通の生活をしたがっているのです。

そこで私は、「だけど、普通になるということは、朝起きてコーヒー飲んで、新聞読んで、満員電車に乗って、会社で決まりきった仕事をして帰ってくるだけなんですよ。

いま、あなたはそんなことはせずに、クラシック音楽を聴いても、小説を読んでも、私らの理解を超えるくらいすごいじやないですか。それに比べたら、そこらのみんな同じ生活をしている人だちと同じになるなんて、つまらんじやないですか」と言いました。

すると彼は、はっきりした口調でこう言いました。「先生、ぼくはそういう普通のことがしたいのです」これには、私も岸だとさせられました。

しかし、そういうこともすべてわかった上で、だからといって、私たちが普通の人をつくろうとしだしたらよくないのではないか、というのが私の考え方です。

だいいち、私たちが、普通の人をつくろうとしたからといって、つくれるものでもありません。心理療法家が、クライエントを普通の人にしようなどと考えるのは傲慢であり、大きな思い違いだと思います。

普通の人になることが幸せか

長いこと、アメリカで個人開業で心理療法をされたり、後進の指導にあたってこられたユング派心理分析家のリース滝幸子さんは、非常にむずかしい問題を提起されました。

「前に対談した折、先生が『心理療法をして普通人をつくろうとしているのではない』と言われたのですが、その言葉が気になっています。普通人であるより、精神病を患っていきいきと妄想の中に生きているほうが幸せであるという意昧にもとれるのですが、この普通人とは?」そのときリースさんは次のように発言しておられました。

「ドラッグや酒をやめたけど、人間的に貧しくなったというのでは意味がない。酒をやめても、そういうエネルギーが使えるというようにならないと。

以前、てんかんの子どもの心理療法をやったことがあります。まだ小さい子なのに、ものすごい力持ちなんです。

テレビは投げる、コンピュータは投げる、とにかく高いものばかり投げる。それで、みんな集まってきて、取り押さえたりするわけ。

ところが、心理療法をやって、お薬飲んだら、そういう爆発的なものがスッとなくなった。そのとき、私は、この子はほんとはさびしいんじやな’いかなと思ってしまったんです。てんかんは治ったけど、あんなすばらしい、神みたいな威力を感じていたものがなくなっちやうんですもの。

その子は勉強もよくできるようになったし、うまくいっているんだけど、普通の人になったことで、本人はなんかさびしいんじやないかって」

そこで私は、次のように対談を締めくくりました。一応外見は普通にしてないと、この世に生きていけないからね。普通の人になるというのは大変にさびしいことなんですよ。だからぼくは、心理療法というのは、普通の人にするのが目的ではないと思っているんです」

そして、対談後に、こう書きました。「てんかんの子の症状がなくなったとき『この子はぽんとはさびしいんじやないかなと思ってしまった』とリースさんが述べているのは、重要な指摘である。

私はこのことはすべての心理療法家が心に留めておくべきことであると思った。来談した人たちが『普通の人』になって、よかったよかったと手放しで喜んではならない。さりとて、普通でないほうがよい、と単純には言えない。このむずかしさをよくよく認識しているべきである」

リースさんも私も、考えていることは同じだと思います。リースさんは、てんかんの子の症状がなくなったときに、この子はほんとはさびしいんじやないかなと思われたけれども、だからといって、その子がずっとてんかんのままでいたほうがいいと思われたわけでもないはずです。

私たちがこの世で生きていくためには、妄想があるより、ないほうが楽に生きられます。また、当人も、おそらく妄想があるより、普通になったほうが楽だと思っておられることでしょう。だからこそ、それを治してもらいたくて相談に来るわけですから。

2012年5月16日水曜日

近年の経済界の「経営者は従業員に対して何を言ってもいい」という空気

当時の広報部長が10月21日付の人事で、経営戦略室主席部長に異動していますが、このことと関係しているかどうかは不明です。もちろん、富士通の社員からは、社内サイトの掲示板に「こんな社長の下では働けない」という批判が出たけれども、だからといって秋草社長は何の責任も取らなかった。

富士通の社員はおしなべて有能なので、上がどうあろうと仕事をがんばる体質があるのかもしれません。だから、秋草さんも責任追及されることもなくすんでいて、2003年6月に会長になったけれども、別に経営の責任を取って社長の座を譲ったわけでもありません。

これでは本当にどうしようもないなとがっかりしました。秋草・現会長は電電公社総裁だった秋草篤二氏の息子です。親がそういう地位にあったから、いわゆる電電ファミリーの筆頭格たった富士通内ですごく大事にされて、それで社長にまで登りつめた。

そんな社長が、ひけ目を感じるのではなくて、かえってあのような発言をしてしまう。経営者は従業員に対して何を言ってもいい、という近年の経済界の空気を感じます。「業績が悪いのは社長であるわたしの責任です」と言うのが社長の仕事でしょう。

けれども、わかっている人はその言葉の裏を知っているという、一種のお約束がちょっと前まであったはずです。高い地位にある人はそれなりの責任を持っている。会社の不振を従業員のせいや経済環境のせいにしてすまされるのなら、社長などいりません。

社長問題発言に富士通の労働組合も何も反論しなかった。

社長がここま言っちゃあおしまいです。業界企業にも無責任な態度をとって、にもかかわらず許される空気になってしまいました。この記事が出た後、「週刊現代」が「富士通社長社員と大ゲンカ」と書いています。それと「朝日新聞」の雇用コラムに「構造失業の時代に」という記事で秋草社長のインタビューが掲載されました。

「朝日新聞」の記事は、「週刊東洋経済」に対する反論で言々いけれど、その記者なり広報担当なりが多分にそれを意識して、発言を修正していきこいと考えていた節を私は感じました。ところが秋草社長は、なんとその記事でも、前の発言を撤回するどころか、「経営と雇用の責任は両立しない」「戦前の日本でも解雇はよくあった」などと、さらにエスカレートさせています。

けれども、これだけ従業員を馬鹿にする発言をしても結局、何も起こらなかったのです。株価は変動がなかったし、富士通の労働組合も何も反論しなかった。富士通側か東洋経済に抗議したということもなかった。