2012年12月25日火曜日

夫の出産参加のもたらす意義

出産は産婦の身体を中心とした生理現象であり、出産のための生理機構がスムーズに働くためには、産婦の身体の緊張をとって身体をリラックスさせ、生理作用を早く進行させて、出産を終わらせることが必要だ。身体と心が密接に関係しているのは衆知の事実で、誰だって不安で固くなった心を持ちながら、身体だけゆったりとリラックスすることなど、できるものではない。

それを考えれば、産婦に安心感や、真の励ましを与え、真剣にわが子の誕生に立ち会いたいと考える夫なら、いや夫でなくてもよい、産婦の心に勇気と安定感を与えられる姉妹や友人たちなら、出産参加は分娩のスムーズな進行のために大変役立つわけである。論文としてもいまはもうその種の研究は珍しくない(例えば、『助産婦雑誌』一九九〇年八月号、医学書院)。また「衛生管理上の問題云々」という点について言えば、助産者や看護者と同じ清潔な服装でのぞみ、服装から露出している部分(顔、手など)の清潔さに、同じだけの注意を払いさえすれば、何ら問題はない。赤ちゃんは私たちの住む世界で生きていくのであり、無菌室で育つわけではない。

夫の出産参加はこのように産婦(妻)への有効性もさることながら、それは夫自身の大きな変化にも顕著につながっている。先で述べたように、私か一九八四年夏から一九八八年までに調査した大洲市上須戒地区という山村では、伝統的に夫が妻をかかえて二人でか産するという習俗が行なわれていた。大戦末期に開業した産婆(後に助産婦)も、お産の姿勢だけは坐産から仰臥位産へと変更させたものの、伝統的な夫婦協力型出産方法については、彼女が老齢のため引退したほんの二、三年前まで、実践し続けたという出産事情があった。したがって随分年輩のおじいちゃんたちが、時代の最先端をいくラマーズ法も顔負けの、出産法を体験していたのである。

「女の人は偉いですよ。お産というのは大変なものです」(八九歳氏)、「お産というのはいやあ大変なもんだ。ああやって難儀して生まれた子には特別、情が深こうなる」(七七歳氏)、「女の一番大変な時(有産)に男がそばにいてやるのは当たり前でしょう」(七六歳氏)、「誕生したときは涙がでて止まらなかった。子どもがこんなに愛しいと思ったことはない」(七〇歳氏)、「最初は仕方なしに手伝ったけど、こんなに苦しんで産むのか! 一緒にいきんでやってよかったと思った。このつらさはいくら人に話してみても、体験してみないとわからんだろう」(六七歳氏)とそれぞれ感想を述べているように、参加体験がそれまでの出産観を大きく真実に向かって好転させているのがわかる。