長いこと、アメリカで個人開業で心理療法をされたり、後進の指導にあたってこられたユング派心理分析家のリース滝幸子さんは、非常にむずかしい問題を提起されました。
「前に対談した折、先生が『心理療法をして普通人をつくろうとしているのではない』と言われたのですが、その言葉が気になっています。普通人であるより、精神病を患っていきいきと妄想の中に生きているほうが幸せであるという意昧にもとれるのですが、この普通人とは?」そのときリースさんは次のように発言しておられました。
「ドラッグや酒をやめたけど、人間的に貧しくなったというのでは意味がない。酒をやめても、そういうエネルギーが使えるというようにならないと。
以前、てんかんの子どもの心理療法をやったことがあります。まだ小さい子なのに、ものすごい力持ちなんです。
テレビは投げる、コンピュータは投げる、とにかく高いものばかり投げる。それで、みんな集まってきて、取り押さえたりするわけ。
ところが、心理療法をやって、お薬飲んだら、そういう爆発的なものがスッとなくなった。そのとき、私は、この子はほんとはさびしいんじやな’いかなと思ってしまったんです。てんかんは治ったけど、あんなすばらしい、神みたいな威力を感じていたものがなくなっちやうんですもの。
その子は勉強もよくできるようになったし、うまくいっているんだけど、普通の人になったことで、本人はなんかさびしいんじやないかって」
そこで私は、次のように対談を締めくくりました。一応外見は普通にしてないと、この世に生きていけないからね。普通の人になるというのは大変にさびしいことなんですよ。だからぼくは、心理療法というのは、普通の人にするのが目的ではないと思っているんです」
そして、対談後に、こう書きました。「てんかんの子の症状がなくなったとき『この子はぽんとはさびしいんじやないかなと思ってしまった』とリースさんが述べているのは、重要な指摘である。
私はこのことはすべての心理療法家が心に留めておくべきことであると思った。来談した人たちが『普通の人』になって、よかったよかったと手放しで喜んではならない。さりとて、普通でないほうがよい、と単純には言えない。このむずかしさをよくよく認識しているべきである」
リースさんも私も、考えていることは同じだと思います。リースさんは、てんかんの子の症状がなくなったときに、この子はほんとはさびしいんじやないかなと思われたけれども、だからといって、その子がずっとてんかんのままでいたほうがいいと思われたわけでもないはずです。
私たちがこの世で生きていくためには、妄想があるより、ないほうが楽に生きられます。また、当人も、おそらく妄想があるより、普通になったほうが楽だと思っておられることでしょう。だからこそ、それを治してもらいたくて相談に来るわけですから。