2015年9月2日水曜日

自然と共生している

世界遺産に選ばれてすぐバスを増便させたが、近隣住民から、「排気ガスがひどい」「騒音でうるさい」「安全が心配」「落ち着かない」と多くの苦情が寄せられたりしたことなどから、平日は一時間にわずか二便の運行となる時間帯もあった。このため、観光客はギュウギュウ詰めのバスに押し込められたり、一時間以上も待だされる事態も起き、観光客からは改善を求める声が上がった。しかし、大田市は二〇〇八年一〇月から、住民の要望を受けそのバスも全廃する。バスがなくなると観光客は、坑道入口までの往復六キロ以上を歩くことになる。観光客の半数以上は五〇代以上の年配者だけに、せっかく増えた観光客も減ってしまいかねない。

こうした事態に、観光客の実態調査を行ってきた大田市商工会議所職員の月森直紀さんは、危機感を募らせていた。月森さんは市役所職員とともに、観光客の気持ちになって、実際に往復六キロを歩いてみることにする。気温は三五度。町中には日差しをよける場所さえない。途中で、ペビーカーを引く家族連れの観光客に声をかける。「こんにちは、どちらからですか」「高松からです」「歩かれたんですか」『歩きましたよ。五、六キ』も」そう答えた奥さんの足元はサンダルだった。「知らなかったですよ。こんなに歩くなんて」と、ご主人も続けた。

事前に歩くことを伝えていれば、「自然と共生している」石見銀山のよさを感じてもらえるはずと、月森さんはPRの必要性を感じていた。ようやく坑道入口に着いた月森さん。ここまでの三・一キロで、汗まみれだ。鉱山の中に入るためには、さらに歩くことになる。「一時間五分か一〇分くらい。最初から歩いたら、これくらいはある。さすがに、しんどい。観光客がカバンや荷物を持って歩くとなったら、この程度ではすまないので、いろいろと考えなきやならない」バス撤廃後の対応策を立てることは、急務だ。

まずは歩きやすい服装での来訪を呼びかけることにした。そして自転車式のベロタクシーやレンタサイクルの導入を検討している。町の暮らしそのものが世界遺産と言われるように 一方で、観光地化する町に異議を唱える人もいる。石見銀山の町にある大森小学校は、全生徒が一〇人までに減り、廃校の危機にあった。ここの小学校の卒業生である松場大吉さん(五五歳)は、「世界遺産になって、浮かれていてはいけない」と語った。世界遺産のなかにある人々の暮らしをなくしてはならないという。大森町で生まれ育った松場さんは、二〇年ほど前に古民家を改造して、町のなかに店を出した。そこで、オリジナルブランドの洋服や自然素材の生活雑貨を販売している。小田急百貨店やそごうにも出店し、今や年商は一〇億円に達している。

しかし、松場さんは拠点を都会に移すつもりはない。大森町の自治会長も務める松場さんは、お盆前に「打ち水大会」を開こうと、住民たちに協力を呼びかけていた。人が暮らしてこその世界遺産・石見銀山だと松場さんは考えているからだ。「観光地とは言いたくない。やはり生活の場というのが一番なんですね。石見銀山へは、生活の場ということを認識してもらった上で、足を踏み入れて頂きたい。まさしく、町の暮らしなくしては、存続はないわけですから。世界遺産になったことで、イベント会場化してゆくことが一番怖いです」