2014年4月17日木曜日

市民意識の統合のシンボル

まだまだ問題がある。膨大な資金を要するが、人口急増による財政難に悩む市が負担できるかどうか。必須の事業でないこうしたものに、市民の税金をぶりむけることが妥当かどうかという点もある。そのうえ、球場を拡張すると、公園内にある米軍の接収地であるチャペルセンターや、県立の武道館にもかかり、移転させなくてはならない。近くの病院の問題、交通渋滞の処理、駐車場など具体的な難問は山積しており、これらをすべて解決するととは困難であった。

こうしたたかでは数年間、市長一人が独走という形で経過していた。私も慎重論の一人であったし、市の幹部にも同様の人びとが大勢である。「ここにも反対者が一人いるが、どうしても横浜の子供たちのためにプロ野球場をつくるんだ」と、私を横目に見て市長は公衆の面前でもよくそういっていた。

しかし「つくる、つくる」といっても、理念的にも整理され、実務的にも可能な条件があるていどにととのわなければならない。困難な問題を突破していったことは多くあるが、プロ野球場は市がどうしても強引に突破してゆくという性質のものではない。現状では問題が多すぎる。それなら緑豊かな都市公園としておいて、アマチュア球場のそう大きくないものは別の土地につくればよい、と考えていた。

ただ、私はプロ野球場そのものに反対ではない。かつて大阪の民間会社にいたとき、会社所有の野球場を拡張して、パシフィックリーグのプロ野球場への改修計画を担当したことがある。また、横浜のように他所から移住して急激に人口が膨張し、しかも東京方面への通勤者が多いという状況では、市民意識が育だないのは、やむをえないところである。都市地域も拡大して、ミナトとは縁のない人びとも多くなった。

ミナトだけを市民意識の統合のシンボルとするのではなく、なにかそれ以外にも市民意識を統合し、市民の気持を結集してゆくものがほしいものである。そこで地元のプロ球団をもつことは、市民の話題になり、まとまりのない市民の意識を連帯させることができるかもしれない。とくに子供たちにとっては、そうであろう。もちろん市民意識の連帯を、プロ野球だけに頼るのではないが、三〇〇万人もの大都市にはいろいろな手段が必要であり、プり野球はそのひとつにはなりうるだろう。

そこで、横浜公園以外に適地がえられないかどうか、あたってみることにした。物理的にはプロ野球場が嵌め込めそうな数力所の候補地が拾いだされた。いろいろやってみると、周辺道路が十分でないとか、鉄道駅から遠すぎて輸送の便がわるいとか、周辺の住宅地に影響がでそうだとか、万全の適地はない。おまけに、どういう資金で土地を取得するかが頭の痛い話である。地価が高すぎるのである。