2015年12月2日水曜日

債務国の調整疲れの顕在化

一時しのぎでもいいから傘を貸してやれば、将来は何とか自力で立ち直るというリクィディティ(流動性)重視の考え方ですすめてきた。そしてIMFが再建計画を債務国に要求し、その上でニューローンやリスケジューリングを実施するというパターンであった。債務国側が厳しい国際経済管理を永年にわたって受けることは経済的にも、また民族感情や政治面からも困難なことが次第に表面化してきた。つまり債務国をガチガチに固めてしまうより、ある程度の自由度なり経済成長を重視なり加味する必要がでてきた。「債務国の調整疲れ」の顕在化である。

これらをもう少し根元的にいえばソルバンシーの問題の論議を行なう必要に迫られてきたのである。支払不能が顕在化するとすれば、従来八二年夏からやってきた努力はたんに死期を延ばしたことに過ぎなくなってしまうという恐怖感が債権銀行側に発生してきたのである。こうなればもう打つ手がない。八四年末ころに一応の流動性問題は片がついたという安心感があった。しかし八五年九月のプラザG5以来、根本対策をどうするかという基本対応模索が生じ、ついに10月のソウルIMF世銀総会でベーカー財務長官提案が報告された。

これは最終的に債務国に支払い能力を賦与するために成長促進通貨を供給する必要があるという認識から二〇〇億ドルのニューマネー供給を行なうということであった。しかし、総論賛成、各論反対とはまさにこのことであり、現状はまったく固着状況のまま動いていない。ということは、すでに一兆ドルを超す発展途上国累積債務についていまだに抜本策が何ら講じられていないということである。暗く、腹の底から冷えるような大きな恐怖とはこのことなのである。