2014年9月2日火曜日

総合金融化路線の盲点

批判を受けて、SECは十二月にようやく重い腰を上げて、証券化商品の格付けの透明性を高めるために格付け会社の報酬体系を抜本的に見直す方針を固めた。各国政府は格付け会社を包括的に監視する国際機関の設立を検討している。米国としてはそれに先駆けて国内ルールを整備する。ムーディーズやS&Pは証券化商品に関連した格付けビジネスで業績を伸ばしてきた経緯があり、今後は新たな収益源の模索を迫られる。○八年六月十三日、米大手銀JPモルガン(現JPモルガンーチェース)会長兼最高経営責任者(CEO)だったデニスーウェザーストーン氏ががんにより亡くなった。七十七歳だった。

融資から証券取引までさまざまな金融業務を展開したウェザーストーン氏はその革新的経営で知られる。米国で八〇年代から九〇年代にかけて、それまで商業銀行に禁止されていた株式引き受けなど証券業務が解禁されたのはウェザーストーン氏のおかげだ。そもそも、米国では大恐慌時代の反省から、一九三〇年代から銀行と証券の垣根を定めたグラスースティーガル法が制定されていた。だが、ウェザーストーン氏による米政府への働きかけにより、それまで禁止されていた銀行グループによる証券引き受けが六十年ぶりに復活し、その後九九年にグラスースティーガル法が見直される先駆け役を果たした。

証券引き受け、市場取引、融資など幅広い金融業務を提供する「ウッストップーショップ型」は、大手銀シティコープと大手証券ソロモンースミスーバーニーを傘下に抱えるトラペラーズーグループの合併による九八年のシティグループの誕生で、ウォール街の定番ビジネスとなった。ウェザーストーン氏が推進した規制緩和路線は、金融機関の収益拡大や資本市場の拡大につなかった半面、サブプライムローン問題の端緒になった野放図な不動産の証券化など高リスク事業も産んだ。

金融機関が債権者、引き受け、自己投資とさまざまな顔を持ち始めたことで、金融機関と顧客である投資家や企業との間で「利益相反関係」が生まれたのも事実だ。「驚きました。各当局が『金融危機を解決する監督権がない』と告白するのです」○一年から○三年までSEC委員長を務め、現在コンサルディック会社を経営するハーベイーピット氏はため息をつく。「銀行と証券の垣根を定めたグラスースティーガル法がなくなり、金融の自由化が進みました。だが行政組織の垣根が残って、規制の網が行き届かなかった」。

米国の規制緩和路線は、金融機関の収益拡大や資本市場の拡大が当初目的だった。例えば、メリルリンチやリーマンなどは証券会社なのに住宅ローン会社も経営しており、グループで融資したローンを証券化するという「川上」から投資家への販売という「川下」までを一貫して手掛けた。だが、一連の規制緩和に対して、規制当局が金融機関のリスク管理を監督していなかった結果、借り入れが膨らみ、融資基準が緩くなった。SECでは証券会社のリスク管理の監督部門を事実上廃止している。ピット元SEC委員長は、金融監督は現在のような業態ごとの縦割りでなく集約するべきだとみる。金融システムを監督する当局と業者を監視する当局の二つでいい。前者はFRBが担い、後者はSECとCFTCを統合させ、証券、保険、銀行などあらゆる業者を一元監督させる。現在、州政府が担当している保険監督局は後者に吸収させるのだという。