2012年6月20日水曜日

病気と付き合う姿勢

そして、数日後に連絡があって、「よくよく考えてみましたが、もう少しこいつ(幻聴)とつきあってみることにしました」とのことでした。

先の大は、幻聴がなくなったことがまた一つのつらさになったわけですが、私たちは、治ったなら、治ったときのつらさもあるのだということを知っていないといけない。

そのときに、こちらがまるで自分の手柄かなにかのように勝手に喜んで、「やった。よし、今度、これを学会で発表してやろう」などと考えていたりすると、その大が自殺したりすることもあるのです。それは、こちらの気持ちが、その大の体験している悲しさからかけ離れていくからです。

普通の生活ができない苦しみと、普通の生活ができるようになった苦しみと、両方があるということを、私たちはつねに念頭に置いてクライエントと接していかなければなりません。

私は、普通の大を幻聴があるようにしたいとも思わないし、幻聴のある大を普通にしようとも思わない。大切なことは、「しよう」、「つくろう」とはしないことです。私たちの役目は、どちらの事情もわかった上で、その大と一緒にいて、その人の流れについていくことです。

幻聴がなくなっても、また次のつらさがやってきます。それを、受けとめていかなければならない。そのときに、こちらが無理をしてもだめ、また、ただ漫然と相手の流れについていくだけでもだめ、流れについていく自分がきちんと生きていなければ意味がありません。

とくに普通でない生活ができなくなった苦しみというのは、なかなかわかりにくいものです。誰だって、幻聴がなくなったほうがいいと思いがちです。

しかし、それで万々歳ではなく、それによって失うものもあるのだということもわきまえて、クライエントに会っていかなければならないのです。

セラピストやカウンセラーがそこを間違えると、幻聴や幻覚は治ったのに自殺してしまったなどということにもなりかねません。実際にそういう事例の報告もわりとあるのです。