2012年5月16日水曜日

近年の経済界の「経営者は従業員に対して何を言ってもいい」という空気

当時の広報部長が10月21日付の人事で、経営戦略室主席部長に異動していますが、このことと関係しているかどうかは不明です。もちろん、富士通の社員からは、社内サイトの掲示板に「こんな社長の下では働けない」という批判が出たけれども、だからといって秋草社長は何の責任も取らなかった。

富士通の社員はおしなべて有能なので、上がどうあろうと仕事をがんばる体質があるのかもしれません。だから、秋草さんも責任追及されることもなくすんでいて、2003年6月に会長になったけれども、別に経営の責任を取って社長の座を譲ったわけでもありません。

これでは本当にどうしようもないなとがっかりしました。秋草・現会長は電電公社総裁だった秋草篤二氏の息子です。親がそういう地位にあったから、いわゆる電電ファミリーの筆頭格たった富士通内ですごく大事にされて、それで社長にまで登りつめた。

そんな社長が、ひけ目を感じるのではなくて、かえってあのような発言をしてしまう。経営者は従業員に対して何を言ってもいい、という近年の経済界の空気を感じます。「業績が悪いのは社長であるわたしの責任です」と言うのが社長の仕事でしょう。

けれども、わかっている人はその言葉の裏を知っているという、一種のお約束がちょっと前まであったはずです。高い地位にある人はそれなりの責任を持っている。会社の不振を従業員のせいや経済環境のせいにしてすまされるのなら、社長などいりません。

社長問題発言に富士通の労働組合も何も反論しなかった。

社長がここま言っちゃあおしまいです。業界企業にも無責任な態度をとって、にもかかわらず許される空気になってしまいました。この記事が出た後、「週刊現代」が「富士通社長社員と大ゲンカ」と書いています。それと「朝日新聞」の雇用コラムに「構造失業の時代に」という記事で秋草社長のインタビューが掲載されました。

「朝日新聞」の記事は、「週刊東洋経済」に対する反論で言々いけれど、その記者なり広報担当なりが多分にそれを意識して、発言を修正していきこいと考えていた節を私は感じました。ところが秋草社長は、なんとその記事でも、前の発言を撤回するどころか、「経営と雇用の責任は両立しない」「戦前の日本でも解雇はよくあった」などと、さらにエスカレートさせています。

けれども、これだけ従業員を馬鹿にする発言をしても結局、何も起こらなかったのです。株価は変動がなかったし、富士通の労働組合も何も反論しなかった。富士通側か東洋経済に抗議したということもなかった。