2015年7月2日木曜日

勇敢な兵士

一九九三年の春に卒業したあの若者たちは、今では三十二、三歳で、百人前後の兵からなる中隊をまかされる身になっていることだろう。とすればイラク派遣隊でも中堅で、古代ならば、ローマ軍団の背骨とさえ言われた百人隊長というところだ。規則は守りながらも臨機応変な対応も求められる、実にむづかしい立場である。十年前に彼らに贈った言葉を、もう一度くり返してみたくなった。あのときに二十二、三歳の若者たちに向けて語りかけたことのいくつかを、かいつまんで再録したい。

(歴史上の武将を書いていて考えさせられることの第一は)一級のミリタリーは一級のシビリアンでもある、ということです。シビリアンであらねばならない、と言っているのではありません。一級のシビリアンでなければ、戦場でも勝てないからです。ではなぜ、一級のミリタリーは一級のシビリアンでもあるのか。それは、戦地でさえも良き結果につなが’るということが、実にさまざまな要素の結合だからです。勇敢であるだけでは充分でない。兵士たちに人望があっても、それだけでは充分でない。では他の何に、気を配る必要があるのか。

まず第一は、補給線の確保でしょう。勇敢な兵士といえども、腹が空いては力を発揮できない。歴史を見ていると優れた指揮官ほど、部下たちの腹具合に注意を払っていたようです。それに補給が必要なのは、食糧にかぎりません。派遣されている地での兵士一人一人の力を十全に発揮させるのに、欠くことのできないものすべてです。こうなると一級の武将は、大蔵省や厚生省の有能な官僚、ということになりませんか。

また、戦闘に訴えないでも勝利を得ることに、彼らはなかなかに敏感でした。武力で解決することしか知らないのでは、一級の武将とはいえません。なぜなら、指揮官が心がけねばならないことの第一は、自分に与えられた兵力をいかに有効に使うか、であるはずなのですから。そうすると、どうやれば良き味方を作れるか、ということにもつながってくる。これはもはや外交です。一級の武将は一級の外交官でもなければならない、ということになります。

そのうえ、部下たちをやる気にさせる心理上の手腕。人間は、苦労に耐えるのも犠牲を払うのも、必要となればやるのです。ただ、喜んでやりたいのです。だから、それらを喜んでやる気持にさせてくれる人に、従いていくのです。これはもう、総理大臣の才能ですね。そして、戦場で駆使される戦略戦術とて同じこと。古代の有名な戦闘は、アレクサンダー大王でもハンニバルでもスキピオでも、そして私もいずれは書くことになるユリウスーカエサルの行った戦闘でも、まったく一つの例外もなく、兵力では劣勢であったほうが勝ったのでした。それこそ戦略戦術が優れていたからですが、なぜ彼らにだけ、優れた戦略なり戦術を考え出すことができたのか。