2015年12月2日水曜日

債務国の調整疲れの顕在化

一時しのぎでもいいから傘を貸してやれば、将来は何とか自力で立ち直るというリクィディティ(流動性)重視の考え方ですすめてきた。そしてIMFが再建計画を債務国に要求し、その上でニューローンやリスケジューリングを実施するというパターンであった。債務国側が厳しい国際経済管理を永年にわたって受けることは経済的にも、また民族感情や政治面からも困難なことが次第に表面化してきた。つまり債務国をガチガチに固めてしまうより、ある程度の自由度なり経済成長を重視なり加味する必要がでてきた。「債務国の調整疲れ」の顕在化である。

これらをもう少し根元的にいえばソルバンシーの問題の論議を行なう必要に迫られてきたのである。支払不能が顕在化するとすれば、従来八二年夏からやってきた努力はたんに死期を延ばしたことに過ぎなくなってしまうという恐怖感が債権銀行側に発生してきたのである。こうなればもう打つ手がない。八四年末ころに一応の流動性問題は片がついたという安心感があった。しかし八五年九月のプラザG5以来、根本対策をどうするかという基本対応模索が生じ、ついに10月のソウルIMF世銀総会でベーカー財務長官提案が報告された。

これは最終的に債務国に支払い能力を賦与するために成長促進通貨を供給する必要があるという認識から二〇〇億ドルのニューマネー供給を行なうということであった。しかし、総論賛成、各論反対とはまさにこのことであり、現状はまったく固着状況のまま動いていない。ということは、すでに一兆ドルを超す発展途上国累積債務についていまだに抜本策が何ら講じられていないということである。暗く、腹の底から冷えるような大きな恐怖とはこのことなのである。

2015年11月3日火曜日

「国税」にとってのタブー

検察と組んで、ときには政界の実力者に対しても調査のメスを振るう国税庁。だが、その国税庁も事実上手が出せない「聖域」がある。それは宗教団体、それも社会的に大きな影響力のある巨大宗教団体だ。

宗教法人の場合、寺院、神社の本堂などの賃銭や、僧侶がお経を読んで信者からもらうお布施などは、本来の宗教活動による収入として非課税である。それだけでも他の法人よりも恵まれているといえよう。一方、駐車場や結婚式場などを経営して得られる収益事業には課税されるものの、これも株式会社などの営利法人はもちろん、財団法人や社団法人など他の公益法人よりも税率は軽減されている。

ところが、現実にはこうした収益事業でも申告漏れが多いという。しかし、国税庁はいったい何に遠慮しているのか、巨大宗教法人に対してはなかなか本格的な税務調査は行わないのである。このため、宗教法人に対する税制上の優遇措置の見直しや、宗教法人への課税体制の強化などが話題になる。しかし、いつも掛け声だけに終わっている。

一方、宗教団体と並んでもうひとつの「タブー」ともいえるのが、身内のスキャンダルだ。国税庁は職員数5万7100人の大組織であるが故に、腐敗が生まれるのは当然だ。このため国税庁には内部犯罪を防いだり、場合によっては刑事告発できる国税監察官の制度があり、首席監察官をトップに監察官が目を光らせている。

だが不祥事があっても、まず、監察官室が乗り出す前に身内でかばい合ったり、監察官室で密かに処分したりしていたことが多く、あまり表には出なかった。だが、最近はそれでは済まない悪質なケースが増えてきている。たとえば、97年には特定の資産家を税務調査の対象から外したり、課税資料を破棄したりした見返りに現金を受け取っていた東京国税局管内の三人の調査官が収賄の疑いで逮捕され、翌年、実刑判決を受けた。

98年6月には、大阪国税局査察部に在席したことのある職員が93年当時、マルサの対象になった建設会社社長に情報を漏らしていたことが明るみに出た。このためマルサは不発に終わり、後に料調の力によってやっと摘発できたという。同国税局はこの事実を知りながら、公表することもなく、職員に対する処分も行わなかった。この職員は事件が明るみに出た後の98年7月になって、やっと懲戒免職になったのである。

2015年10月2日金曜日

ジェフリー・サックスのユダヤ人論

食に典型的に見られるように、文化というものは基本的にはローカルなものであり、それがグローバルな交流の中でお互い刺激しあうことによって成熟の域に達していくのであろう。食を一つの中心テーマに、巧みに演出されたリョンーサミットで、我々はもう一度、経済と文化、グローバリゼーションとローカルなコミュニティーの問題を考えさせられたのであった。

私の十数年来の友人の経済学者にジェフリー・サックスという男がいる。ハーバード国際開発研究所の所長で、国際経済、国際金融の分野では極めて有名であり、強い影響力をもちつづけている。

ボリビア、コロンビア等ラテンアメリカ諸国の「改革」にはじまって、ポーランド、ロシア等の市場経済移行の際に有力なアドバイザーとして政策提言を行い、いわゆるショック療法の指導者として知られている。その最盛期にはロシアにコンサルタント会社を設立し、二〇人にのぼるコンサルタントをロシアの各省庁に派遣し、「改革」路線の実現に努力したのであった。国際金融の世界で、これもまた、有名な投資家、ジョージーソロスがこのサックスのコンサルタント会社に多額の寄付をしていたのも事実であった。

サックスの「改革」路線、あるいは、ショック療法は必ずしも私の考え方と相容れない。いや、非常にしばしば、私の考え方の対極にあることも、また、たしかなのである。にもかかわらず、彼と筆者とが親しい友人でありつづけられたのはいったい、なぜだったのかと考えることがある。

もちろん、それは、たまたま彼と直接対立するような場面に出くわすということがなかったということもあるのだろうが、何か、それ以上のものがあるような気がする。一つはまちがいなく彼の卓抜した能力と強烈なエネルギーに対する尊敬の念であろうが、もう一つは彼が巷で言われているほど、弾力性のない「改革」派ではないという点なのであろう。

以前、彼と議論をする機会があったが、主題は当然、グローバリゼーションとローカルな文化、社会の安定という点をめぐっての展開であった。その中で、私がある種の驚きと感動をもって受けとめたのが彼のユダヤ人論であった。

2015年9月2日水曜日

自然と共生している

世界遺産に選ばれてすぐバスを増便させたが、近隣住民から、「排気ガスがひどい」「騒音でうるさい」「安全が心配」「落ち着かない」と多くの苦情が寄せられたりしたことなどから、平日は一時間にわずか二便の運行となる時間帯もあった。このため、観光客はギュウギュウ詰めのバスに押し込められたり、一時間以上も待だされる事態も起き、観光客からは改善を求める声が上がった。しかし、大田市は二〇〇八年一〇月から、住民の要望を受けそのバスも全廃する。バスがなくなると観光客は、坑道入口までの往復六キロ以上を歩くことになる。観光客の半数以上は五〇代以上の年配者だけに、せっかく増えた観光客も減ってしまいかねない。

こうした事態に、観光客の実態調査を行ってきた大田市商工会議所職員の月森直紀さんは、危機感を募らせていた。月森さんは市役所職員とともに、観光客の気持ちになって、実際に往復六キロを歩いてみることにする。気温は三五度。町中には日差しをよける場所さえない。途中で、ペビーカーを引く家族連れの観光客に声をかける。「こんにちは、どちらからですか」「高松からです」「歩かれたんですか」『歩きましたよ。五、六キ』も」そう答えた奥さんの足元はサンダルだった。「知らなかったですよ。こんなに歩くなんて」と、ご主人も続けた。

事前に歩くことを伝えていれば、「自然と共生している」石見銀山のよさを感じてもらえるはずと、月森さんはPRの必要性を感じていた。ようやく坑道入口に着いた月森さん。ここまでの三・一キロで、汗まみれだ。鉱山の中に入るためには、さらに歩くことになる。「一時間五分か一〇分くらい。最初から歩いたら、これくらいはある。さすがに、しんどい。観光客がカバンや荷物を持って歩くとなったら、この程度ではすまないので、いろいろと考えなきやならない」バス撤廃後の対応策を立てることは、急務だ。

まずは歩きやすい服装での来訪を呼びかけることにした。そして自転車式のベロタクシーやレンタサイクルの導入を検討している。町の暮らしそのものが世界遺産と言われるように 一方で、観光地化する町に異議を唱える人もいる。石見銀山の町にある大森小学校は、全生徒が一〇人までに減り、廃校の危機にあった。ここの小学校の卒業生である松場大吉さん(五五歳)は、「世界遺産になって、浮かれていてはいけない」と語った。世界遺産のなかにある人々の暮らしをなくしてはならないという。大森町で生まれ育った松場さんは、二〇年ほど前に古民家を改造して、町のなかに店を出した。そこで、オリジナルブランドの洋服や自然素材の生活雑貨を販売している。小田急百貨店やそごうにも出店し、今や年商は一〇億円に達している。

しかし、松場さんは拠点を都会に移すつもりはない。大森町の自治会長も務める松場さんは、お盆前に「打ち水大会」を開こうと、住民たちに協力を呼びかけていた。人が暮らしてこその世界遺産・石見銀山だと松場さんは考えているからだ。「観光地とは言いたくない。やはり生活の場というのが一番なんですね。石見銀山へは、生活の場ということを認識してもらった上で、足を踏み入れて頂きたい。まさしく、町の暮らしなくしては、存続はないわけですから。世界遺産になったことで、イベント会場化してゆくことが一番怖いです」

2015年8月3日月曜日

多種多様な国際問題の解決

戦後の国際社会では、外務省だけが関係する国際問題はむしろきわめて限られてきた。国際関係が複雑化し、多種多様な国際問題が起こるようになって、いまや実質問題の多くは、他の官庁との協力なしには、とても外務省だけでは処理できなくなっている。その結果、従来は国内問題だけに精力を集中してきた他の官庁でも、次第に国際問題を担当する専門家が育ち、また、国際問題を取り扱う知識・技術も蓄積されるようになってきている。

そうなると、外務省を通してしか外国と接触・折衝できないという状況が、むしろ障害として受け止められるようになってくるのである。特に、頻繁に外国と接触する官庁では、直接のルート、チャンネルを作り上げるところも出てくる。こうして、国際金融・通貨問題では大蔵省が、また、国際通商問題では通産省が、外務省の権限に挑戦することとなった。

特に大蔵省の場合、戦後のごく早い時期から国際通貨基金(IMF)に関する仕事を集中し、外務省が口を挟む余地を排除してきた。国際通貨・金融に関しては、大蔵省は外務省となんら相談することなく、独自の判断で行動する。

新聞報道でも、国際通商問題をめぐる外務省と通産省との対立・抗争が、時におもしろおかしく報じられることがある。これぱ、国際通貨問題での大蔵省の実績を横目でにらんだ通産省の行動によるものである。しかし、今日では経済問題は国際関係の非常に重要な部分を占める。従って、外務省としても簡単に引き下がるわけにぱいかない。

また、仮に通産省との争いに負けるようなことがあれば、農水省、郵政省、運輸省、科学技術庁、防衛庁など、外務省の権限に挑戦しようとする官庁が後に控えているのだ。よくいわれることは、もし各中央官庁が外交をやるようになったら、外務省に残るのはプロトコール(儀礼)、領事、条約ぐらいなもの、ということだ。これでは、老舗の中央官庁としては到底耐えられない。

2015年7月2日木曜日

勇敢な兵士

一九九三年の春に卒業したあの若者たちは、今では三十二、三歳で、百人前後の兵からなる中隊をまかされる身になっていることだろう。とすればイラク派遣隊でも中堅で、古代ならば、ローマ軍団の背骨とさえ言われた百人隊長というところだ。規則は守りながらも臨機応変な対応も求められる、実にむづかしい立場である。十年前に彼らに贈った言葉を、もう一度くり返してみたくなった。あのときに二十二、三歳の若者たちに向けて語りかけたことのいくつかを、かいつまんで再録したい。

(歴史上の武将を書いていて考えさせられることの第一は)一級のミリタリーは一級のシビリアンでもある、ということです。シビリアンであらねばならない、と言っているのではありません。一級のシビリアンでなければ、戦場でも勝てないからです。ではなぜ、一級のミリタリーは一級のシビリアンでもあるのか。それは、戦地でさえも良き結果につなが’るということが、実にさまざまな要素の結合だからです。勇敢であるだけでは充分でない。兵士たちに人望があっても、それだけでは充分でない。では他の何に、気を配る必要があるのか。

まず第一は、補給線の確保でしょう。勇敢な兵士といえども、腹が空いては力を発揮できない。歴史を見ていると優れた指揮官ほど、部下たちの腹具合に注意を払っていたようです。それに補給が必要なのは、食糧にかぎりません。派遣されている地での兵士一人一人の力を十全に発揮させるのに、欠くことのできないものすべてです。こうなると一級の武将は、大蔵省や厚生省の有能な官僚、ということになりませんか。

また、戦闘に訴えないでも勝利を得ることに、彼らはなかなかに敏感でした。武力で解決することしか知らないのでは、一級の武将とはいえません。なぜなら、指揮官が心がけねばならないことの第一は、自分に与えられた兵力をいかに有効に使うか、であるはずなのですから。そうすると、どうやれば良き味方を作れるか、ということにもつながってくる。これはもはや外交です。一級の武将は一級の外交官でもなければならない、ということになります。

そのうえ、部下たちをやる気にさせる心理上の手腕。人間は、苦労に耐えるのも犠牲を払うのも、必要となればやるのです。ただ、喜んでやりたいのです。だから、それらを喜んでやる気持にさせてくれる人に、従いていくのです。これはもう、総理大臣の才能ですね。そして、戦場で駆使される戦略戦術とて同じこと。古代の有名な戦闘は、アレクサンダー大王でもハンニバルでもスキピオでも、そして私もいずれは書くことになるユリウスーカエサルの行った戦闘でも、まったく一つの例外もなく、兵力では劣勢であったほうが勝ったのでした。それこそ戦略戦術が優れていたからですが、なぜ彼らにだけ、優れた戦略なり戦術を考え出すことができたのか。

2015年6月2日火曜日

国が地方に権限を委譲する必要性

「治権」とは人民の生活に密着したものであって、「国内各地の便宜に従び、事物の順序を保護して、その地方に住居する人民の幸福を謀ることなり」、つまり警察や道路・橋梁・堤防の営繕はもちろん、学校や社寺、遊園地の造成、衛生の向上など、これらは全部「治権」であって、できるだけ地方に分散させ。決して集中させてはいけないといっている。よく会合などで、「行政と地域とが一体となってやるべきだ」とか、「地域の要求を行政に反映させなければならない」という。この場合の行政とは、この治権のこと。県庁はガーウルメントではなく、アドミニストレイションである。

徳川幕府が崩壊しだのは、外国との折衝を薩摩は薩摩で、長州は長州でと別々にやって、日本のなかに何十もの政府があるのと同じだったからだ。だから、徴兵令や条約権、法律制定権などは国に集める。しかし、住民の周りのものは全部地方に分散させるべきだ、と福沢は言う。そうはいっても、明治政府はなかなかそれをやろうとしない。集権論者は常に揚言して云く、政府の地方事務を取り扱ふは人民の自らこれを処するに優ると。

すなわち、中央政府が地方事務をやったほうが能率的だ。続いて、此説或は然らん。中央政府は独り開明にして地方の人民は全く無智、中央は神速にして地方は緩慢、中央は事を行ふに慣れて地方は命に従ふに慣るが如き有様ならば、此説或は然らん。このようなことで、中央政府はなかなか地方に権限を渡そうとしない。しかしこんなことを続けるのは日本のためによくないと、繰り返し述べている。では思いきって地方分権をしたらどうなるのか。或は雑踏混乱をいたして、一時は人の耳目を眩惑することもあらんといえども、全国の地心たる中央の政府に政権の存するあれば、毫も憂るに足らざるのみならず、その雑乱と認むるものは、即ち国の元気の運動して腐敗せざるの徴候なれば、これを賀しこれを祝せざるべからず。

つまり、もし思いきって国が地方に権限を委譲し、財源を分譲すると、地方は選挙などで一時腐敗が横行するかもしれない。また国が効率的に行なうのと異なり、あるいは混乱が起こるかもしれないけれども、これは国が元気である証拠だから、少々の混乱があっても、思いきってこの権限は地方に委ねるべきであると強調する。そうはいっても現実の問題としては、治権の整頓に至るまでは十年を以て待つべからず、二十年を以て期すべからず、恐らくは余が生涯の中にはその成功を見ることなかるべしと、できないことも予一言している。地方自治制が始まって一〇〇年をすぎ、地方自治法が制定されて四〇年をすぎた。福沢は「自分が生きている間はできないだろう」といっているが、一〇〇年たった今でもできていない。

2015年5月7日木曜日

「国民の司法参加」を議論

それに対して民事裁判では、どんなに訴えられても、それで社会的影響力を失うなどということはありません。民事裁判における被告の姿は、前回述べたようなものです。昨今の官僚不祥事、企業不祥事等にも、数多くの民事事件が絡んでいます。

今、日本の構造改革の必要が叫ばれ、経営者や官僚の責任なども取り沙汰されていますが、これらに対して、根拠法令も手続もなしに責任を負わせることなど土台不可能で、現状でもそれが可能だというのは机上の空論にすぎません。すでに終わった事件は仕方ないとしても、これからも日本国民は、官僚や経営者の責任を棚上げにしてしまう法制度と手続に甘んじていくのか、ということが問われているのです。

日本は資本主義経済体制です。きれいごとだけではすまない問題が沢山あります。世は拝金主義にまみれており、これを一体どうやって是正していくかを考える方が重要ではないでしょうか。人々の関心もそちらの方が強いのです。

「国民の司法参加」を議論するのであれば、刑事裁判のみならず、国民の経済生活・社会生活において、より切実な民事裁判についても深くつっこんだ議論をすべきです。民事陪審制が導入されるならば、民事訴訟制度だけでなく、日本の司法全体に抜本的な変革をもたらすことは確実です。

2015年4月2日木曜日

石油だけによる繁栄から産業間のバランスのとれた長期的発展へ

国営原子力会社カズアトムプロムがウランの掘削・生産を独占し、ウランの生産量を二〇一〇年までに八倍にして、世界トップになる、ウラン鉱を加工して輸出するとの方針で、そのために多角資源外交を展開している。先のクシクンバエフ第一副所長は「ウラン輸出を大幅増加させ、ロシアだけでなく、中国、アメリカ、日本に向けて多角化する。わが国は核燃料の分野で世界の主導権を握っていくのが目標だ。そのためにはウラン分野での技術競争力を高めていかねばならないが、それには日本の技術力に期待している」と語った。

実際、ロシアとはウラン鉱床の共同開発、束シベリアでのウラン濃縮施設の共同建設を契約している。中国、アメリカともウラン長期売買契約を結び、共同開発での連携を図っている。日本も○七年五月、国内需要の三分の一を超えるウラン輸入契約、ウラン鉱床開発投資、加工技術供与、人材育成支援などの契約をカザフスタンと結んでいる。こうして、ウランが日本とカザフスタンを結んでいるのはあまり知られていないが、注目されて然るべきであろう。ナザルバエフ大統領は○七年四月の年次教書で、「カザフスタンは新たな発展の跳躍の入り口に立っている。新しい世界における新しいカザフスタンをつくろう」とのべ、「石油だけによる繁栄から産業間のバランスのとれた長期的発展へ」とカザフスタンを産業国家にするという国家目標を打ち上げた。「カザフスタンニ○三〇」と題する長期国家戦略である。具体的にはこうだ。

石油精製、石油化学工業センターの建設、ウラン製造工業の発展。ナノテクノロジー、生物テクノロジー開発センターの設置。IT村の建設。エタノール生産施設の建設。産業インフラの抜本的整備と人的資源の能力開発。エネルギー資源投資を柱とするカザフスタン証券取引所の創設。開発銀行、投資・イノベーション基金、貿易保険・信用保証機構の設立。WTO加盟による投資の増加と市場開放。かなり野心的で大胆な国家目標だが、その実現の道筋は明らかでない。看板倒れの恐れもあが、自立した産業国家をユーラシアの大地につくるという意欲は伝わってくる。カザフスタンは全人口一五四〇万人の五三%をカザフ人、三〇%をロシア人が占めているが、カザフ人を中心とした多民族国家である。ソ連時代はロシア人がカザフ人を上回っていたが、独立後に多くのロシア人がロシアに移住している。

大統領は憲法上、カザフ語能力がその資格に不可欠であり、政府の主要人物は言うに及ばず、カザフスタン社会の要路はカザフ人が押さえている。取材したカザフスタン戦略研究所の専門研究員もほとんどがカザフ人だったし、大学や政府関係施設の幹部もそうだった。かつてソ連時代に肩で風を切っていたロシア人は、今やこうした分野では数も少なく、肩身が狭そうだった。国家語はカザフ語だが、ロシア語も第二公用語であり、どこでも通じる。だが、ロシア語と同じキリル文字で表記されているカザフ語は、近くラテン文字に変えられる予定だ。

街路の名前もカザフ風に変わっている。かつての「レーニン通り」が「アバイ(カザフの哲人の名前)通り」になっているのも、その一例だ。カザフの新風が吹きぬけているのだ。「カザフ人は初めて独立国家を手にしたのです。わが国は、カザフ人を中心とする独立した多民族国家の道を歩んでいくことになります」(クシクンバエフ第一副所長)という気概あふれる言葉が印象的だった。カザフスタンには極東ロシアからスターリンによって強制移住させられた朝鮮人約一〇万人も居住しているが、カザフ人と同じチュルク(トルコ)系民族であるウズベク人やキルギス人、ウイグル人がかなり住んでいる。とりわけ、近年、中央アジアの成長センターとなっているカザフスタンに、ウズベキスタン、キルギスから多くの労働者が流入している。

2015年3月3日火曜日

世界でもっとも尊敬されるCEO

そんななか、2005年4月、ローマ新教皇に選ばれたのがベネディクト16世だ。カリスマ的な存在感と影響力を誇った前の法王ヨハネーパウロ2世の側近だった彼はドイツ人で、ポ上フンド人たった前法王同様に非イタリア人の法王となる。新教皇が目指すのは、基本的には前教皇の考え方を踏襲した保守路線だ。カトリック教会が今も厳守している結婚観や家族の在り方(結婚とは神による大きな恵みであり、家庭では信仰が大切である)についてはそれを支持し、避妊具使用や体外受精を認めず、尊厳死や人工妊娠中絶、同性愛による結婚には断固として反対の立場をとり、また女性が司祭になることも認めない。

高齢になっても世界中を精力的に飛び回っていた前教皇の後だけに、78歳というかなりの高齢で教皇となったベネディクト16世の言動には世界中が注目している。とくに、カトリック教会とは神のメッセージを人々に伝えることこそが重要な役割であるとする彼は、異文化理解を推し進めようと大きな方向転換を果たしたカトリック教会の存在意義を見直すことに力を注いでいるといわれる。「何でも受け入れる」という考え方ではカトリック教会そのものの価値が損なわれるというわけだ。

その新教皇が2006年、問題発言をして騒ぎになったことがある。母国ドイツの大学での講義中、「イスラム教は暴力的である」という引用を持ち出し、「それは神の本性である理性に反する」と語ったのだ。これはまさにキリスト教の立場からイスラム教を批判したとも受け取れる発言である。当然、イスラム社会から「コーランを読んでいない教皇の中傷であり、無知そのものだ」と激しい反発が沸き起こった。しかし、教皇はあくまでも古い文章の引用であるとして謝罪も釈明もしておらず、このふたつの大宗教の対立が深刻化するのではないかと危惧する見方もあった。

何でも受け入れようとする相対主義を見直し、カトリック教会の存在意義を見直そうとするベネディクト16世の言動に、今、世界が注目している。「世界でもっとも尊敬されるCEO」BP社のジョンーブラウン氏が失脚するまで19世紀から20世紀にかけて石油産業を手中に収めていた国際石油資本(メジャー7社のひとつであり、ヨーロッパ最大のエネルギー企業である英国BP社で、10年以上にわたりCEO(最高経営責任者)を務めたジョンーブラウン氏が突然辞任を発表しためは2007年5月1日。氏は当初、2008年末までCEOに留まることを同意していたことから16ヵ月も前倒しの退任となったのだが、そこにはプラウン氏の辞職への強い希望があったという。

ジョンーブラウン氏の経営手腕は内外で高い評価を得ている。何しろCEOとしての在任中にBP社の時価は5倍の1046億ポンド(約24兆3256億円)に成長し、株価は250パーセント上昇。利益は223億ドル(約2兆6767億円)にまで跳ね上がったのである。さらに、1998年にはイギリス王室からナイトの称号を与えられ、1999年から2002年まで英国の月刊誌上で「最を尊敬されるCEO」に選ばれた。各界からは数々の賞を授与され、まさに順風満帆なビジネス人生を歩んできた人物だ。そんなブラウン氏が任期を待たずに辞任を決意したのにはわけがある。元恋人とのトラブルが新聞社に売り込まれ、英各紙がいっせいに報道したのだ。

2015年2月3日火曜日

アジア太平洋戦略と「ビンの蓋」論

東西冷戦が米ソ首脳によるマルク島会談(八九年)で終了してから、早くも十余年。冷戦時代のような核兵器の威嚇による全地球規模の全面戦争の危険性は去ったが、それに代わって湾岸戦争に代表される大規模な地域紛争や国境、民族、資源、宗教問題などに起因する局地紛争が多発する危険性が、増大している。

規模の大小にかかわらず、あらゆる紛争はもちろん平和的な話し合いによる解決がいちばん望ましいが、湾岸戦争のように多国籍軍の力を借りて、侵略を粉砕せねばならない例も皆無とはいえない。

米国の安全保障戦略の基本は、冷戦に一人勝ちした唯一の超大国として、不安定で予測が難しい今後の世界で、いかにして自国の軍事的優位性を維持し、その権益を確保し、自由貿易を発展させ、国益を仲長させていくかにある。

とりわけアジア太平洋地域は、米軍人とその家族などを含めて約四十万人の米国人が暮らし、年間五千億ドルを超える米国の貿易と、米国市民四百万人の雇用を支え、総額千五百億ドル以上の直接投資が行われているだけではない。

国連常任安保理事国で核を持つ中口二大国が位置して、米国にとっては文字通り死活的な利害関係を持つ重要な地域である。だからこそ米国は、冷戦時にこの地域に十三万人規模の兵力を展開していたのだ。

冷戦の終結にともなって、兵力を九万人に削減する計画が立てられた。しかし、「北朝鮮の脅威」に対応して、東アジアの兵力は最終的に十万人規模を維持する決定が行われた。

2015年1月6日火曜日

数字で見る在日外資系企業の実情

「受験指導に邪魔だ」とハッキリと断られたことも数多くあるとはいっても、二〇〇から三〇〇の公立・私立高校が、定期的に留学生を引き受けている現状は、都会に限らず地方でも日本の鎖国化か徐々に緩んでいるという証でもある。ともかく、近隣の工場で外国人の工員が多数働いているといった状況でもない限り、日本のほとんどの市町村では身近に外国人と接する機会はない。都会でもたまに見かける以外は、特別に話をするわけでもなく、テレビで外国人タレントを見る場合を除いて、彼らが日本にいることすら意識しないというのが現状ではないだろうか。東京、特に繁華街では飲食店やコンビニなどの店員の多くがアジア系外国人となっているが、日本の多くの地域では一般的に外国人と接触することは、まだまだ珍しい体験なのである。

だから一般の人々にとって、こうした存在感が薄い外国人との共生は、身近なテーマとしてなかなか捉えにくい。但し、いくつかの例外がある。その一つが、在日外資系企業であり、そこに働く外国人社員との共生である。外資系企業を「唯一の例外」と断定すると、反論が出てくるだろう。「中学や高校にいる外国語の授業のための外国人アシスタントや、日本研究のために長期滞在している外国人研究者は違うのか」とか、「日本に長年住んでいる在日の外国人(日本国籍を取得していないが、日本を故郷としている人々など)はどうなのか」という質問が起こるのは当然のことだ。しかし、ここではそうした点にまで議論を広げず、日本人と外国人、日本と外国の一つの共生例として、次節からは、在日外資系企業を取り上げたい。

外資系企業と出会う機会は意外に多い。一般の人々にとって、在日外資と関わることは決して多くはない。一九六〇年代にとられた国産品保護、国内企業優遇の政策の下、現在に至るまで、外資系企業あるいは海外企業、外国企業の日本進出は驚くほど進んでいない。後述する政府による調査でも、対象企業は五〇〇〇社しか把握していない。実際にはもっと多いと思われるが、日本にオフィスを構えずに活動している団体を含めても、一万社はないというのが実態であろう。世界第二位のGDP(国内総生産)を誇る国で、外国企業がこれだけしかないというのは、国際化の進む欧州やアジアから見れば異例とも言える。

しかし、実態は実態である。わずかな外資系企業(以下、外国企業や海外企業もこの言葉で代替することが多いことをお断りしておく)の存在を認識するのは、スーパーマーケットで手にした食品が外国製であったり、テレビコマーシャルでよく聞く会社の宣伝を目にする時だったり、あるいは新聞で外資による日本企業の買収や合併のニュースがある時くらいかもしれない。最近では、業績が思わしくないと噂されているシティグループによる日興コーディアル証券の買収があったが゛それがまた売りに出されているのが何とも皮肉だぺ 一般の人が耳にする外資系の話題といえばそうしたM&A(企業買収)のニュースなどが主であろう。

しかし、ビジネスの世界に目を向けると、外資系企業との接点が意外に多いことに気づく。トヨタやパナソニックのような世界企業でなくても、部品や材料を世界各地から買い、最終製品やサービスを日本だけでなく海外で販売している中小企業は数多い。そうした企業に勤める社員の人々は、日常的に外資系企業の名前を聞くだろうし、時には彼らと仕事上で関わりを持つに違いない。そのほとんどが日本人社員との接触であるとしてもだ。またM&Aが日常茶飯事となった今日、「自分の働く会社がある日突然外資系になってしまう」という事態も、珍しい話ではなくなってきた。そうなれば、否が応でも外資系で働くという現実に直面しなければならなくなる(これについては後述する)。