2012年6月20日水曜日

不安を大きくするもの

「神戸での震災以後、兵庫県や全国でも暴力性や破壊性にまつわるいろいろな事件が起きています。震災が直接的に関与したとは思えませんが、あの震災が日本人の心のなにかを動かし、なにかを開かせたように、日々の臨床を通じても思うことがあります。先生のご意見をお聞かせください」

石川敬子さんはカウンセリング・オフィス神戸同人社のスタッフとしてカウンセリングをされていますが、阪神淡路大震災にあわれて、ご自身も精神的なダメージを体験されたそうです。

また、そういう方々の心のケアにあたってこられました。質問の中に震災のことをもちだされたのは、そういう経緯があったからだと思います。

石川さんのように、人間の心のことを研究され、訓練も受けられて、現実にカウンセリングにあたってこられた方ですら、精神的ダメージを回避することができなかったわけですから、あの大震災によって一般の人が受けた心の傷は、そうとうなものだったと推察されます。

ただ、石川さんも書いておられますが、震災と、たとえば中学生による児童殺害などの凶悪な事件との間に直接的な因果関係があるかどうかは、一概には言えないと思いますし、凶悪犯罪自体、最近になって急に増えはじめたものかどうかも、一度考えてみる必要があるような気がします。

たとえば明治時代にも、猟奇的殺人のようなことはいっぱいありましたし、一般の人も興味を寄せていたように思います。そういう事件が、いまとどっちが多いかわからないし、殺人事件などは、ひょっとしたら、いまのほうが少ないかもしれません。

いまはメディアが発達、多様化している上に、メディア間の競争などもあって、ことさらセンセーショナルに書きたてないと、一般の人が関心をもたなくなっています。どこそこの家は幸福に暮らしていますなどというのは、記事にも話題にもなりません。そういったところも、差し引いて考える必要があるでしょう。

誰でも「昔はよかった」と言いたがっているところがあります。しかし、この言葉は、何千年もの間、人間が言いまわしてきたものです。「いまどきの若いやつは」などという言葉は、それこそ紀元前から言われてきたのではないでしょうか。そういうことも考える必要があると思いますし、ジャーナリストの方は、一度そういう統計をきちんと取ってみたらどうでしょうか。

いつの時代にも、社会というのはそういう不安をつねに内在しているものですが、ただ、近代以前は、宗教のような超越的なもので救われていました。ところが現在は、そういう部分が非常に希薄になっていますから、凶悪な部分が表に出やすくなっているとは言えるかもしれません。

私たちはそうした目に見えない超越的な束縛から解放されてずいぶん便利になり、おもしろおかしく生きることができるようになりましたが、その分、不安はどうしても大きくなります。