2015年6月2日火曜日

国が地方に権限を委譲する必要性

「治権」とは人民の生活に密着したものであって、「国内各地の便宜に従び、事物の順序を保護して、その地方に住居する人民の幸福を謀ることなり」、つまり警察や道路・橋梁・堤防の営繕はもちろん、学校や社寺、遊園地の造成、衛生の向上など、これらは全部「治権」であって、できるだけ地方に分散させ。決して集中させてはいけないといっている。よく会合などで、「行政と地域とが一体となってやるべきだ」とか、「地域の要求を行政に反映させなければならない」という。この場合の行政とは、この治権のこと。県庁はガーウルメントではなく、アドミニストレイションである。

徳川幕府が崩壊しだのは、外国との折衝を薩摩は薩摩で、長州は長州でと別々にやって、日本のなかに何十もの政府があるのと同じだったからだ。だから、徴兵令や条約権、法律制定権などは国に集める。しかし、住民の周りのものは全部地方に分散させるべきだ、と福沢は言う。そうはいっても、明治政府はなかなかそれをやろうとしない。集権論者は常に揚言して云く、政府の地方事務を取り扱ふは人民の自らこれを処するに優ると。

すなわち、中央政府が地方事務をやったほうが能率的だ。続いて、此説或は然らん。中央政府は独り開明にして地方の人民は全く無智、中央は神速にして地方は緩慢、中央は事を行ふに慣れて地方は命に従ふに慣るが如き有様ならば、此説或は然らん。このようなことで、中央政府はなかなか地方に権限を渡そうとしない。しかしこんなことを続けるのは日本のためによくないと、繰り返し述べている。では思いきって地方分権をしたらどうなるのか。或は雑踏混乱をいたして、一時は人の耳目を眩惑することもあらんといえども、全国の地心たる中央の政府に政権の存するあれば、毫も憂るに足らざるのみならず、その雑乱と認むるものは、即ち国の元気の運動して腐敗せざるの徴候なれば、これを賀しこれを祝せざるべからず。

つまり、もし思いきって国が地方に権限を委譲し、財源を分譲すると、地方は選挙などで一時腐敗が横行するかもしれない。また国が効率的に行なうのと異なり、あるいは混乱が起こるかもしれないけれども、これは国が元気である証拠だから、少々の混乱があっても、思いきってこの権限は地方に委ねるべきであると強調する。そうはいっても現実の問題としては、治権の整頓に至るまでは十年を以て待つべからず、二十年を以て期すべからず、恐らくは余が生涯の中にはその成功を見ることなかるべしと、できないことも予一言している。地方自治制が始まって一〇〇年をすぎ、地方自治法が制定されて四〇年をすぎた。福沢は「自分が生きている間はできないだろう」といっているが、一〇〇年たった今でもできていない。