2012年6月20日水曜日

死ぬほど苦しいとき

自殺者には律義な人が多く、律義な人だから、変わることがよけいにしんどくて、それくらいだったら死んでしまおうという気になってしまうのでしょう。

人には、その人その人に人生の流れみたいなものがあります。長いこと、ある工場に勤めていて、この仕事に関しては自分よりできる者はいないと思っているときに、急にシステムが変わって、それまでのやり方が通用しなくなったりすると、そういう人は、苦しんで自分が変わるより、死んでしまいたいと思うようになったりします。

あるいは、そろばんでは一番だったのに、仕事がすべてコンピュータ化されたら、逆に自分が一番できない人間になってしまいます。

いまは変化が速いから、そういうことがよく起こります。それにつれて、死んだほうがましだと考える人も多くなる。

それでも、日本の会社は、そういう人でもなんとか抱えこんでいこうとしますからまだましです。アメリカなどでは、使いものにならなくなったら、その場で解雇されることもあります。

その点、アメリカのほうがずっと厳しいものがあります。ただ、日本人はこれまでそういうことにあまり慣れてこなかったから、自殺の増加という現象が起こってくるわけです。

人には、死ぬほど苦しいこともあります。そこを越えていかないと成長しません。ある意味では、死んで生まれ変わっていくとも言えます。

中年くらいになると、誰でもそういうことを一度や二度は経験しているのではないでしょうか。そして、そういうときのために、カウンセラーというものがあるわけですが、それだけに、私たちのところに来る前に死んでしまわれるのは、いかにも残念です。

変化が激しいにもかかわらず、そういうところをケアできるような優秀な産業カウンセラーが少ないというのが、いまの最大の問題だと思います。