2016年2月2日火曜日

暫定的に認めた自衛権行使

こうした集団的安全保障が発動されなかったらどうするのか。緊急時に無保護にさらされる国の安全はどう守るのか。こうした中小国の要請を受け、同時に地域的な組織の自立性に配慮して設けられたのが、第五一条だった。しかしこの「個別的・集団的自衛権」の発動は、「武力攻撃の発生」を条件として、「安保理か国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間」という制約のもとに、暫定的に認められたに過ぎなかった。

ところで、こうした憲章の考え方に照らしてみると、日本国憲法第九条はどう解釈できるだろうか。第九条一項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と定めている。

読んですぐにわかるように、この規定は、憲章第二条に対応している。戦争のみならず、「武力による威嚇または武力の行使」を含めて、「国際紛争を解決する手段としては」永久に放棄すると定めた内容だ。問題は、この「国際紛争を解決する手段としては」という表現の意味にある。これが、違法不正な侵略戦争のみを禁止し、自衛戦争や制裁戦争については認める趣旨なのか、それともあらゆる戦争を問わず禁止する規定なのか、ただちには断定できない。

これを、パリ不戦条約の延長ととらえれば、前者の解釈になるだろう。というのも、不戦条約の締結にあたっては、国際連盟規約などによる制裁と自衛戦争は、これに含まないという了解があったためだ。だが、憲法制定当時の事情に即して言えば、この解釈は成り立だないだろう。

国際連合は、パリ不戦条約の限界を踏まえ、集団的安全保障という強制措置の発動を前提に、包括的な戦争の追放を定めたからだ。憲章は「慎まなければならない」としているが、憲法第九条ではこれを受けてさらに徹底し、「永久に放棄する」という強い宣言によってこの精神を具現化したと言える。