「治権」とは人民の生活に密着したものであって、「国内各地の便宜に従び、事物の順序を保護して、その地方に住居する人民の幸福を謀ることなり」、つまり警察や道路・橋梁・堤防の営繕はもちろん、学校や社寺、遊園地の造成、衛生の向上など、これらは全部「治権」であって、できるだけ地方に分散させ。決して集中させてはいけないといっている。よく会合などで、「行政と地域とが一体となってやるべきだ」とか、「地域の要求を行政に反映させなければならない」という。この場合の行政とは、この治権のこと。県庁はガーウルメントではなく、アドミニストレイションである。
徳川幕府が崩壊しだのは、外国との折衝を薩摩は薩摩で、長州は長州でと別々にやって、日本のなかに何十もの政府があるのと同じだったからだ。だから、徴兵令や条約権、法律制定権などは国に集める。しかし、住民の周りのものは全部地方に分散させるべきだ、と福沢は言う。そうはいっても、明治政府はなかなかそれをやろうとしない。集権論者は常に揚言して云く、政府の地方事務を取り扱ふは人民の自らこれを処するに優ると。
すなわち、中央政府が地方事務をやったほうが能率的だ。続いて、此説或は然らん。中央政府は独り開明にして地方の人民は全く無智、中央は神速にして地方は緩慢、中央は事を行ふに慣れて地方は命に従ふに慣るが如き有様ならば、此説或は然らん。このようなことで、中央政府はなかなか地方に権限を渡そうとしない。しかしこんなことを続けるのは日本のためによくないと、繰り返し述べている。では思いきって地方分権をしたらどうなるのか。或は雑踏混乱をいたして、一時は人の耳目を眩惑することもあらんといえども、全国の地心たる中央の政府に政権の存するあれば、毫も憂るに足らざるのみならず、その雑乱と認むるものは、即ち国の元気の運動して腐敗せざるの徴候なれば、これを賀しこれを祝せざるべからず。
つまり、もし思いきって国が地方に権限を委譲し、財源を分譲すると、地方は選挙などで一時腐敗が横行するかもしれない。また国が効率的に行なうのと異なり、あるいは混乱が起こるかもしれないけれども、これは国が元気である証拠だから、少々の混乱があっても、思いきってこの権限は地方に委ねるべきであると強調する。そうはいっても現実の問題としては、治権の整頓に至るまでは十年を以て待つべからず、二十年を以て期すべからず、恐らくは余が生涯の中にはその成功を見ることなかるべしと、できないことも予一言している。地方自治制が始まって一〇〇年をすぎ、地方自治法が制定されて四〇年をすぎた。福沢は「自分が生きている間はできないだろう」といっているが、一〇〇年たった今でもできていない。
2015年6月2日火曜日
2015年5月7日木曜日
「国民の司法参加」を議論
それに対して民事裁判では、どんなに訴えられても、それで社会的影響力を失うなどということはありません。民事裁判における被告の姿は、前回述べたようなものです。昨今の官僚不祥事、企業不祥事等にも、数多くの民事事件が絡んでいます。
今、日本の構造改革の必要が叫ばれ、経営者や官僚の責任なども取り沙汰されていますが、これらに対して、根拠法令も手続もなしに責任を負わせることなど土台不可能で、現状でもそれが可能だというのは机上の空論にすぎません。すでに終わった事件は仕方ないとしても、これからも日本国民は、官僚や経営者の責任を棚上げにしてしまう法制度と手続に甘んじていくのか、ということが問われているのです。
日本は資本主義経済体制です。きれいごとだけではすまない問題が沢山あります。世は拝金主義にまみれており、これを一体どうやって是正していくかを考える方が重要ではないでしょうか。人々の関心もそちらの方が強いのです。
「国民の司法参加」を議論するのであれば、刑事裁判のみならず、国民の経済生活・社会生活において、より切実な民事裁判についても深くつっこんだ議論をすべきです。民事陪審制が導入されるならば、民事訴訟制度だけでなく、日本の司法全体に抜本的な変革をもたらすことは確実です。
今、日本の構造改革の必要が叫ばれ、経営者や官僚の責任なども取り沙汰されていますが、これらに対して、根拠法令も手続もなしに責任を負わせることなど土台不可能で、現状でもそれが可能だというのは机上の空論にすぎません。すでに終わった事件は仕方ないとしても、これからも日本国民は、官僚や経営者の責任を棚上げにしてしまう法制度と手続に甘んじていくのか、ということが問われているのです。
日本は資本主義経済体制です。きれいごとだけではすまない問題が沢山あります。世は拝金主義にまみれており、これを一体どうやって是正していくかを考える方が重要ではないでしょうか。人々の関心もそちらの方が強いのです。
「国民の司法参加」を議論するのであれば、刑事裁判のみならず、国民の経済生活・社会生活において、より切実な民事裁判についても深くつっこんだ議論をすべきです。民事陪審制が導入されるならば、民事訴訟制度だけでなく、日本の司法全体に抜本的な変革をもたらすことは確実です。
2015年4月2日木曜日
石油だけによる繁栄から産業間のバランスのとれた長期的発展へ
国営原子力会社カズアトムプロムがウランの掘削・生産を独占し、ウランの生産量を二〇一〇年までに八倍にして、世界トップになる、ウラン鉱を加工して輸出するとの方針で、そのために多角資源外交を展開している。先のクシクンバエフ第一副所長は「ウラン輸出を大幅増加させ、ロシアだけでなく、中国、アメリカ、日本に向けて多角化する。わが国は核燃料の分野で世界の主導権を握っていくのが目標だ。そのためにはウラン分野での技術競争力を高めていかねばならないが、それには日本の技術力に期待している」と語った。
実際、ロシアとはウラン鉱床の共同開発、束シベリアでのウラン濃縮施設の共同建設を契約している。中国、アメリカともウラン長期売買契約を結び、共同開発での連携を図っている。日本も○七年五月、国内需要の三分の一を超えるウラン輸入契約、ウラン鉱床開発投資、加工技術供与、人材育成支援などの契約をカザフスタンと結んでいる。こうして、ウランが日本とカザフスタンを結んでいるのはあまり知られていないが、注目されて然るべきであろう。ナザルバエフ大統領は○七年四月の年次教書で、「カザフスタンは新たな発展の跳躍の入り口に立っている。新しい世界における新しいカザフスタンをつくろう」とのべ、「石油だけによる繁栄から産業間のバランスのとれた長期的発展へ」とカザフスタンを産業国家にするという国家目標を打ち上げた。「カザフスタンニ○三〇」と題する長期国家戦略である。具体的にはこうだ。
石油精製、石油化学工業センターの建設、ウラン製造工業の発展。ナノテクノロジー、生物テクノロジー開発センターの設置。IT村の建設。エタノール生産施設の建設。産業インフラの抜本的整備と人的資源の能力開発。エネルギー資源投資を柱とするカザフスタン証券取引所の創設。開発銀行、投資・イノベーション基金、貿易保険・信用保証機構の設立。WTO加盟による投資の増加と市場開放。かなり野心的で大胆な国家目標だが、その実現の道筋は明らかでない。看板倒れの恐れもあが、自立した産業国家をユーラシアの大地につくるという意欲は伝わってくる。カザフスタンは全人口一五四〇万人の五三%をカザフ人、三〇%をロシア人が占めているが、カザフ人を中心とした多民族国家である。ソ連時代はロシア人がカザフ人を上回っていたが、独立後に多くのロシア人がロシアに移住している。
大統領は憲法上、カザフ語能力がその資格に不可欠であり、政府の主要人物は言うに及ばず、カザフスタン社会の要路はカザフ人が押さえている。取材したカザフスタン戦略研究所の専門研究員もほとんどがカザフ人だったし、大学や政府関係施設の幹部もそうだった。かつてソ連時代に肩で風を切っていたロシア人は、今やこうした分野では数も少なく、肩身が狭そうだった。国家語はカザフ語だが、ロシア語も第二公用語であり、どこでも通じる。だが、ロシア語と同じキリル文字で表記されているカザフ語は、近くラテン文字に変えられる予定だ。
街路の名前もカザフ風に変わっている。かつての「レーニン通り」が「アバイ(カザフの哲人の名前)通り」になっているのも、その一例だ。カザフの新風が吹きぬけているのだ。「カザフ人は初めて独立国家を手にしたのです。わが国は、カザフ人を中心とする独立した多民族国家の道を歩んでいくことになります」(クシクンバエフ第一副所長)という気概あふれる言葉が印象的だった。カザフスタンには極東ロシアからスターリンによって強制移住させられた朝鮮人約一〇万人も居住しているが、カザフ人と同じチュルク(トルコ)系民族であるウズベク人やキルギス人、ウイグル人がかなり住んでいる。とりわけ、近年、中央アジアの成長センターとなっているカザフスタンに、ウズベキスタン、キルギスから多くの労働者が流入している。
実際、ロシアとはウラン鉱床の共同開発、束シベリアでのウラン濃縮施設の共同建設を契約している。中国、アメリカともウラン長期売買契約を結び、共同開発での連携を図っている。日本も○七年五月、国内需要の三分の一を超えるウラン輸入契約、ウラン鉱床開発投資、加工技術供与、人材育成支援などの契約をカザフスタンと結んでいる。こうして、ウランが日本とカザフスタンを結んでいるのはあまり知られていないが、注目されて然るべきであろう。ナザルバエフ大統領は○七年四月の年次教書で、「カザフスタンは新たな発展の跳躍の入り口に立っている。新しい世界における新しいカザフスタンをつくろう」とのべ、「石油だけによる繁栄から産業間のバランスのとれた長期的発展へ」とカザフスタンを産業国家にするという国家目標を打ち上げた。「カザフスタンニ○三〇」と題する長期国家戦略である。具体的にはこうだ。
石油精製、石油化学工業センターの建設、ウラン製造工業の発展。ナノテクノロジー、生物テクノロジー開発センターの設置。IT村の建設。エタノール生産施設の建設。産業インフラの抜本的整備と人的資源の能力開発。エネルギー資源投資を柱とするカザフスタン証券取引所の創設。開発銀行、投資・イノベーション基金、貿易保険・信用保証機構の設立。WTO加盟による投資の増加と市場開放。かなり野心的で大胆な国家目標だが、その実現の道筋は明らかでない。看板倒れの恐れもあが、自立した産業国家をユーラシアの大地につくるという意欲は伝わってくる。カザフスタンは全人口一五四〇万人の五三%をカザフ人、三〇%をロシア人が占めているが、カザフ人を中心とした多民族国家である。ソ連時代はロシア人がカザフ人を上回っていたが、独立後に多くのロシア人がロシアに移住している。
大統領は憲法上、カザフ語能力がその資格に不可欠であり、政府の主要人物は言うに及ばず、カザフスタン社会の要路はカザフ人が押さえている。取材したカザフスタン戦略研究所の専門研究員もほとんどがカザフ人だったし、大学や政府関係施設の幹部もそうだった。かつてソ連時代に肩で風を切っていたロシア人は、今やこうした分野では数も少なく、肩身が狭そうだった。国家語はカザフ語だが、ロシア語も第二公用語であり、どこでも通じる。だが、ロシア語と同じキリル文字で表記されているカザフ語は、近くラテン文字に変えられる予定だ。
街路の名前もカザフ風に変わっている。かつての「レーニン通り」が「アバイ(カザフの哲人の名前)通り」になっているのも、その一例だ。カザフの新風が吹きぬけているのだ。「カザフ人は初めて独立国家を手にしたのです。わが国は、カザフ人を中心とする独立した多民族国家の道を歩んでいくことになります」(クシクンバエフ第一副所長)という気概あふれる言葉が印象的だった。カザフスタンには極東ロシアからスターリンによって強制移住させられた朝鮮人約一〇万人も居住しているが、カザフ人と同じチュルク(トルコ)系民族であるウズベク人やキルギス人、ウイグル人がかなり住んでいる。とりわけ、近年、中央アジアの成長センターとなっているカザフスタンに、ウズベキスタン、キルギスから多くの労働者が流入している。
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